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2009年8月24日 (月)

関実問題に関する経過報告

 7・19関西新空港反対全国集会が大成功しました。今年は、泉州住民の会が主催し、見事に成功させました。昨年までよりも参加者が増え、関空闘争をますます発展させていく闘争になったと確信しています。

 他方で、残念ながら関実の兵庫側3団体の参加は得られませんでした。そればかりか、事前に『声明』なるものを一方的に諸団体に送付し、集会不参加を公表したのです。それは泉州住民の会の主催をどこまでも否定するものでした。さらに関空闘争への妨害でした。

 さらにブログでも明らかにしたように、「国賀を関実事務局次長職から解任」した通知を7月29日付で送ってきました。唖然とする展開でした。これらは住民団体の自主的な共闘の常識を疑う行為です。私は怒りに耐えません。

 すでに泉州住民の会は『声明』を出していますが、事態はさらに進んでいるので、泉州住民の会を支援してくださる皆様に事実経過を説明する責任があると痛感し、ここに明らかにするものです。これまで言えなかった論争についても差し支えない範囲で明らかにしました。

 泉州住民の会は、これらの妨害をはね返し、これからも前向きに闘いを発展させる決意です。今後ともより一層のご支援をよろしくお願いします。

事実経過は、下のPDFファイルを開いてください。

「事実経過090824.pdf」をダウンロード

   関西実行委員会問題に関する事実経過
               2009年8月24日
       関西新空港絶対反対泉州住民の会事務局長
                     国賀 祥司

 7・19関西新空港反対全国集会が大成功しました。今年は泉州住民の会が主催し、集会の準備から当日の進行、発言、デモなど全責任を負って成功させました。昨年までよりも参加者が増え、集会は盛り上がりました。また恐慌情勢が深まる中、関空闘争に勝利する路線、方針を提起し、多くの参加者に支持されました。関空闘争を今後ますます発展させていく決定的な闘争になったと確信しています。
 残念ながら関西実行委員会の兵庫側3団体の参加は得られませんでした。そればかりか、事前に関実『声明』なるものを一方的に諸団体に送付し、集会不参加を公表したのであります。それはこれまでの経緯をまったく無視し、地元団体である泉州住民の会の主催をどこまでも否定するというものでした。それは関空闘争への妨害ではないでしょうか。
 さらに「7月1日に国賀を事務局次長職から解任」した文書を7月29日付けで送り付けてきました。これらは事実経過をまったく歪曲したもので、ただただあ然とするばかりです。まぜこれほどまでして私たち住民の会を否定しなければならないのでしょうか。このような住民団体の自主的な共闘の常識を疑う兵庫側3団体による関西実行委員会の一方的運営に私達は怒りに耐えません。
 6月17日付で泉州住民の会は7・19関空闘争主催問題に関する見解を『声明』を出しています。それは事態の解決を願う立場から、関係団体にお送りしたものです。しかしその後、上記のような予想外の経緯となりましたので、関空闘争に責任を持つ地元住民団体として、支援するみなさま方にこれまでの事実経過を説明する責任があると痛感し、ここに明らかにするものです。
 泉州住民の会は、これらの妨害行為をはね返し、煩わされず、前向きにますます闘いを発展させる決意であります。今後とも一層のご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

1、 2008年7月13日関西新空港反対全国集会がことの発端であると考えます。
7・13集会で全国連発言の時に西郡支部から抗議の声、婦民関西の発言の時に婦民全国協から抗議の声がおきました。内容は「私たちにも発言させるべき」ということでありました。
 泉州住民の会としては、これまで通り「時間の許す限り希望者全員に発言してもらう」方針でいたので、西郡支部にも婦民全国協にも「発言してもらいます」と事前に言っていました。ところが、兵庫側の松原さん、安藤さん、礒田さんから「発言はダメだ。勝手なことするな!永井さんの許可取ったのか」と3人が国賀を怒鳴りつけてきました。大きな声だったので、見ていた泉州住民の会の役員と会員が怒りました。そして住民団体事務局の間で激論になりました。結果は残念ながら多数意見で押し切られ、西郡支部と婦民全国協の発言はなくなりました。国賀は2団体に事情を話し謝りました。しかし納得しなかった団体から「私たちにも発言させるべき」という趣旨の声が会場からおきたのです。
 このようなことが発生したのは、すべて当日の主催団体側の責任です。これまでも関空闘争では、前日や当日に発言を求めてきた希望者の発言を認めてきました。すべて地元泉州住民の会事務局長・国賀の判断でやってきました。泉州の考えは「時間の許す限り希望者には発言してもらう」ことだったからです。兵庫側もそれをこれまで認めてきたのです。だが突然その慣行は頭ごなしに否定されました。

2、 2008年7月21日関実研修会が淡路島であり、泉州住民の会が他団体から陰謀にはめられ、信頼関係を根本から破壊する事件が起こりました。
 研修会に参加していたのは、湾岸住民4団体と尼・伊丹実行委、兵庫労交センターと三里塚の萩原進事務局次長の21人です。泉州は若い役員を含め4人参加しました。
 関空闘争報告を国賀がやる前の休憩時間中に、松原さんが「08・7・13関空闘争で起こった事態について」という「松原」名の文書を各人の机の上に配っていました。休憩後、国賀が関空闘争報告をやりました。それが終わるやいなや松原さんが手を上げ、司会の安藤さんが当てて、文書を読み上げました。泉州の4人は呆気にとられている間に、安藤さんが「ただいま動議が提案されたので取り上げたい」と言いました。内容は泉州を弾劾し自己批判を要求する『動議』だったのです。しかも泉州以外の参加者には「松原さんが意見書を出す」と根回ししていたのです。国賀が気づいて「安藤さん、泉州をはめたのか!!そんな卑怯なことせずに、泉州にも事前に言うてくれよ。準備もできへんやないか」と迫りました。参加していた泉州の役員も怒りました。
 永井さんが動揺して「ちょっと待ってくれ。このプログラムと動議はここに来てはじめて知った。この問題は従来どおり世話人会でやるべき」と発言しました。他にもそれを支持する意見が出たので、議論は後の世話人会に延期されました。次の神戸空港闘争報告の後、世話人会に移り、松原意見書の討議を再開しました。永井さんが「起こったことを大げさにしないでもらいたい。9月関実集会が開催不能になったら三里塚への影響も大きい。結論は出さないという方向でお願いしたい」と言ったので、意見を述べ合うだけになりました。
 国賀は、「発言は原則自由でやってきた。それを抑えつけた主催者側に混乱の責任がある。西郡支部こそ三里塚のように不屈・非妥協に闘っている。発言してもらうべきだった。松原さん、安藤さん、礒田さんが最初から私をスゴイ剣幕で怒鳴ってきた。主催者である泉州を認めていない」など何点か意見を言いました。
 兵庫側の人達は「党の分裂を関実に持ち込まないでほしい」という意見が多かったが、発言原則自由の慣行を破って分裂を持ち込んできたのは兵庫側です。よく考えてほしいものです。さらに、泉州弾劾の決議をあらかじめ当該の泉州には伏せて、他の団体に根回しして臨むやり方こそ、薄汚い党派や会派のやり方そのものです。しかも泉州からは初めて参加する30代の役員がいたにもかかわらず、こんな卑怯なことをしたのです!新役員が「こんな争いに関わりたくない」と役員をやめたら、どう責任を取るのでしょうか。そんなことも眼中にない人たちばかりか、と情けなくなりました。今にして思えば、この時に席を蹴って帰ってくればよかったと悔やんでいます。
 松原さんが中心になって泉州を策略にはめたことに泉州住民の会は激怒しました。泉州の平尾さんは永井さんをにらんだままでした。信頼関係が破壊されました。松原さんら兵庫側3団体は、その後も気に留めていないような様子ですが、泉州は決して忘れていません。共闘団体であれば、参加団体を策略にはめるようなことは絶対にしません。議論は信頼と団結を強めるためにします。このような信頼関係を根本から破壊するようなことは絶対にしません。やったら終わりです。責任はいっさい松原さんら兵庫側にあります。このことが今年の関空闘争の主催を泉州が決断する大きな原因になったことは確かです。

3、 2008年8月12日関実事務局会議
 9・22関実集会のプログラムをめぐって議論しました。国賀が西郡支部の発言を要求しました。松原さん、安藤さんが「西郡問題は、全国連内部で解決すべき問題」と反対しました。国賀は「実質的に分裂している。内部で解決できない。関実は中立なのだから両方の発言を認めるべきだ」と要求しました。しかし結論が出ず世話人会に持ち越しになりました。

4、 2008年8月22日国賀が永井さんと話し合う。
 泉州と関実・兵庫側団体との間に根本的な不信感が出たので、溝を埋めるための話し合いであり、また9・22関実集会を成功させるために話し合いました。
 残念ながら話は平行線でした。8・6ヒロシマ集会で会った時に永井さんは「私がその場にいたら(7/13関空闘争のプログラムをめぐって激論した時のこと)西郡にも発言してもらったのだが」と言っていました。また「関実集会では西郡にも発言してもらうことを考える」と言っていました。ところがこの日は違いました。
 国賀が、関実集会で「西郡支部の発言」を要請しましたが、永井さんは「全国連内部の組織問題と言われたら押し切れない。決意表明ではなくて、例えばカンパを集めてもらって、後で『がんばります』というような案でどうか」と言いました。国賀は「それはダメでしょう。すごい闘いやっているのですから。決意表明はできませんか」と再度要請しました。永井さんは「いっぺん西郡に言ってくれないか」と言いました。国賀は「無理です」と平行線で終わりました。また、国賀が「一度西郡に行って、西郡の人と話し合って、実際の闘いに触れてください」という申し入れもしました。永井さんは「行きたい気持ちもあるが、軽々しく動くと誤解される。ややこしい問題になることもある」という返事で西郡に行くことも消極的でした。「私は中立」と言いながら、西郡の話を聞く姿勢が消極的だったのは残念でした。
 また泉州との信頼関係については、永井さんが「私が議論を止めた。9月関実集会の成功を最優先したい。あずからさせてくれ。機会を見て議論していく」という返事でした。この日はそれで了承しました。しかしその後何もされませんでした。
 問題が起きれば話し合って解決していく姿勢で行ったのですが、残念でした。
 10月14日に永井さん宅を訪ねて話し合いました。西郡支部の「最高裁判決に屈せず、年金差押えにも屈せず、住宅闘争を闘っている。正義のために退路を断って闘う決意は、三里塚と同じ。西郡こそ三里塚陣形に必要」と訴えました。永井さんは「事務局の報告では『9・22関実集会に西郡は来ていない。決戦に来ていない団体のところに行く必要はない』と言われている」と言いました。国賀は「2人来ていましたよ。会場で最後に永井さんに報告したじゃありませんか」と強く言いました。永井さんは「そうか。僕が忘れていたのか」と答えました。それで永井さんは「関実代表じゃなく個人としてこっそり西郡に行こう」となったのですが、結局日程が合わず西郡には行きませんでした。
 またこの日は、永井さんは革共同批判を満展開されました。星野救援会の件、三里塚現闘の件、法政大学の学生逮捕の件、などです。ほとんどの内容が松原さんか誰かから聞いたような事実に基づかない話が多かったです。とりわけ問題だったのは法大の闘いでした。永井さんは「よく闘っているのはわかるが、虎の子部隊を逮捕させてしまって、学生がいなくなっているそうじゃないか。最近の革共同は無茶をやっているんじゃないか」という批判でした。三里塚闘争の原則を貫く者の言葉とは思えない内容でした。
 私は、話し合いで信頼関係を取り戻す努力をしましたが、平行線で溝は埋まらなかったばかりか、広がっている感想でした。これ以降、永井さんとは2人で話し合っていません。

5、 2008年8月26日緊急の関実世話人会
 緊急世話人会が招集されました。焦点は9・22関実集会での西郡支部の発言でした。
 国賀は、西郡支部発言を要求しました。それに対して松原さんは「8月20日萩原さんと話した。萩原さんは、『いかなる理由があろうと西郡の発言はありえない。西郡問題は全国連内部の組織問題。反対同盟の共闘原則は、組織問題には介入しないということだ。』と強く反対された」との報告があり、西郡支部の発言に反対しました。私は、このことを言うために緊急に招集したことがわかりました。永井さんは知っていました。それなら永井さんは、この件で直前に話した国賀に何らかの連絡をしてくれてもいいのではないのかと思いました。
国賀は「反対同盟と関実は違う組織だから、関実で議論して決定すべきではないか」と意見を言いました。その後議論がありましたが、永井さんが「同盟の決定だから仕方がない。今回は西郡に辛抱してもらうしかない」とまとめました。経過から判断して、松原さんが一貫して「全国連内部問題」と言っていた主張を貫いた結果になりました。萩原さんがそう言ったのかどうか確かめようもないことですが、永井さんが松原意見を受け入れて、その方向でまとめたのです。
 結局この日の会議の目的は、国賀対策でした。世話人会で西郡発言を要求しているのは、国賀だけだったからです。さらに翌日の代表者会対策でもありました。

6、 2008年8月27日関実代表者会
 32人も集まり、部屋が満杯になりました。焦点は、西郡支部発言でした。
 9・22関実集会プログラムの説明を安藤さんがしました。松原さんから「萩原さんが西郡の発言はあり得ない。西郡支部問題は全国連内部の組織問題。反対同盟の共闘原則は組織問題には介入しないということだ」との意見を紹介して西郡支部の発言を否定しました。参加者から「西郡の発言を入れるべき。三里塚と関西は違う。」「不屈・非妥協で闘っている西郡にこそ発言してもらうべき」という意見が出ました。激論がありましたが結局、萩原さんの意見を前面に立てて、永井さん、安藤さん、松原さんが押し切りました。「納得できません」という意見があったが、無視されて終わりました。
 9・22関実集会は、従来と同じ決起集会だったので、175名参加しました。萩原進さんが現地報告とアピール、動労千葉の川崎さんが連帯あいさつ、永井さんが基調報告をしました。関西労組交流センター、全学連の決意表明があり、国賀が閉会あいさつをしました。西郡支部は発言がなかったのが残念でしたが、2名が参加しました。しかし三里塚現地闘争に向けての決起集会は、これが最後となりました。関西労交センターや全学連、西郡支部の発言を入れたくなかったから決起集会をやめたのではないのでしょうか。

7、 2008年11月20日関実世話人会。議題は、旗開きと3月関実集会。
 旗開きは安藤さんの提案で「1月18日にする。来年は反戦共同行動委との共催はやめて、関実単独主催とする」とありました。国賀は事務局長なので「その件は反戦共同行動委は留保します。入江さんは、永井さんと話してから決めたいと言っているので、先延ばししてもらえませんか」と提案したが、松原さん、安藤さん、礒田さん、竹田さんらが「反戦共同は活動休止している」とかみついてきて、多数決で押し切りました。ただし「11/24出版記念会で話はする」となりました。2009年旗開きは反戦共同委の代表と討議もせずに関実単独主催を強行しました。
 3月関実集会は、松原さんの提案で「3月15日(日)を候補に集会を計画したい。従来の公開講座ではなく、日曜日の集会にしたい。9月と同じような決起集会では人が集まらないので、誰か人を集められる講師を呼びたい。例えば天笠啓祐さんとか」と。例年は、平日の夜に三里塚公開講座をやっていたので、大幅な変更でした。日曜日に三里塚集会をやるというのも初めてで、みんな考えさせてくれ、という対応でした。決起集会では人は集まらないという考え方に国賀は反対でしたが、この日はそのままで終わりました。

8、 2008年12月5日関実代表者会
 3・15関実集会が主な議題でした。松原さんが「事務局会議にはかけていないが、永井さんと相談して提案する。萩原さんが関実に期待しているのは『統一戦線』の音頭取り。沖縄を重視して知花昌一さんに電話して3/15で了解もらった。萩原さんと知花さん、あと1人でパネルをできないかと考えている」と個人独裁的に提案しました。永井さんは「昔やった全人民共闘というイメージ」と賛成しました。国賀は「3月15日は昨年もやったワーカーズアクションを全国一斉にやるのでダメだ」と日程変更を要請しましたが、松原さんは「3月15日で萩原さんと知花さんの予定を抑えてあるから、日程変更はできない。来れないのなら仕方ない」と永井さんに相談もせず、独裁的に決めました。
 婦民から「労農同盟から発想すべき。労働者の闘いを企画に入れるべき」という意見がでました。永井さんは「私は牧師で住民運動をやってきた。私は労働者ですか?そうではないのですか?」と挑発的な意見を言いました。婦民は「くだらない質問」と返しました(実際に永井さんは牧師だけでは生活できず、ガス屋や生命保険会社などに勤め定年まで働いていました。どういう意図だったのか、まったく理解できない)。
 松原さんが「労働者の闘いと言うが、FTA、EPA反対のスローガンもないのが日本の労働運動。反対同盟は提起している。あとは労働者の問題」と糾弾調で否定し、労働者と農民の対立を煽りました。
 結局、永井さんも松原さんも労働者でありながら、労働者の闘いを否定する立場から発言していました。これが関実の路線だったのです。

9、 2009年1月15日関実世話人会
 3・15関実集会の企画が議論になりました。松原さんが企画書を作ってきました。「3・15講演とパネル 米軍再編―三里塚・沖縄・岩国・関西を結ぶ」という名称でした。これまでの企画とまったく違うので驚きました。松原さんは「岩国の大川牧師に会ってきた。パネラーも引き受けてもらった」と言いました。永井さんは「俺は岩国の闘いは知らんぞ」「コーディネーターと言われても、岩国の闘いを教えてもらわんとでけへんで」と言いました。
 国賀は「この集会には3・29三里塚全国集会がどこにも出てこない。3・29を訴えないのか。米軍再編と闘うとすると、沖縄、岩国が中心になり、3・29三里塚全国集会の前段集会にはならない」と反対しました。松原さんは「3・29は萩原さんに言ってもらう。全体としては3・29へとならなくてもいい。考えてもらう、ということでいい。」と強引に持っていく答弁をしました。これは三里塚集会に動員することを目的として結成された関実の歴史的経緯をまったく無視した松原事務局次長の独断先行的な言辞でした。
 またこの日は「この件は萩原さんに言ってあるし、動労千葉にも協賛してもらった」と言いました。本当にこの企画で共催と協賛をもらったのか?代表の永井さんすら知らなかった企画なのに、おかしい、と思いました。
 他にも「名称が長い。わかりにくい」などの意見がでましたが、時間切れになりました。最後に永井さんが「時間がないので、あとは松原さんに任せる」で終わりました。

10、 2009年2月6日 「『3・15講演とパネルの集い』への賛同と参加のお願い」という文書が泉州住民の会に送られてきました。
 関実としての正式な案内状になっていますが、世話人会で決定していません。時間切れで協議中だったのに、どこかで決定して案内状を作って発送しています。泉州住民の会はこの決定には参加していません。
 特に、動労千葉の協賛がありません。1月15日の世話人会では松原さんが「反対同盟旗開きで動労千葉に協賛してもらった」と報告していたのにおかしい。これは動労千葉の了承もないまま、一方的に協賛をはずしていたことが後日わかりました。

11、 2009年3月15日「3・15講演とパネルの集い」参加者185人
 恐慌情勢とはまったく関係ない集会でした。労働者の闘いは出てこない。パネラーを並べて「えらい人の話を聞く」集会になりました。何よりも3・29三里塚現地結集がメインとして押し出されていない集会でした。会場からの発言を認めない、ただパネラーの発言を聞くだけの集会でした。
 萩原さんの発言はよかったが、最悪だったのは知花昌一さんの発言で「沖縄の運動はダメになった。いわゆる脱落派も参加できる三里塚集会にしてほしい。闘争よりも住民投票の方が市民の意識を変える」と、三里塚闘争の原則を否定するような内容でした。
 泉州住民の会から国賀と中山、小林が参加しましたが、「今日の集会は3・6集会とは対照的な集会でダメだった。3・6集会は激しい闘いがあったし、労働者の決起がすごかったし、感動した」と全員が関実集会に否定的な感想を持ちました。3・6集会とは直前にあった3・6道州制粉砕・橋下打倒・府庁前行動のことです。450人集まり、路線内容が高く、実際に資本と闘っている発言者の迫力がすごく、すべてにおいて圧倒的に3・6集会の方がよかった。

12、 2009年4月28日関実世話人会
 7月関空闘争について議論しました。国賀の方から「今年の7月関空闘争は泉州住民の会が主催でやりたい。兵庫側は、協賛で集会に協力してもらいたい」と提案しました。
永井さんから「どういうことか説明してもらいたい」と意見がありました。国賀が「昨年の関空闘争でプログラムでもめ、研修会では泉州がワナにはめられ信頼関係が損なわれた。関空闘争の主体は泉州住民の会、今は一番しっかりやっています。また泉州住民の会は総会で『労働者と共に関空闘争に勝利する』と決めた。この路線で行きます。今年は泉州住民の会主催、兵庫側が協賛でやらせてもらいたい」と説明しました。
 安藤さんから「そんな大事なこと、勝手に決めるなよ。俺にも権利がある。淡路も関空騒音で被害受けている。闘争の主体だ。7月集会は俺の考えでは労働者の発言をやめて全部住民の発言にしたいと考えてきた」と言いました。労働者を排除する意見でした。3・15関実集会もそうでした。これが彼らの路線だ。国賀は「それはダメだ。泉州と路線が違う」と即座に否定しました。
 その後何人かが発言し「これまで一緒にやってきたのにどうしてそんなことを言うのか」という意見が出ました。最終的に兵庫側から「時間をくれ」ということになり、結論は、1ヶ月先の世話人会に延ばすことになりました。

13、 2009年5月28日関実世話人会。7月関空集会の主催問題が主題。泉州住民の会は、役員会で議論し、3人で参加しました。
  国賀が「前回世話人会から役員会を2回開いて協議した。結論は7月19日の関空反対集会は泉州住民の会が主催します。兵庫側住民団体は協賛してもらいたい。全国にも協賛を募るつもりです」と改めて提案しました。
 永井さんが最初に「地元住民の会の決定だから尊重するが、もう一度再検討する余地はないか」と。国賀は「泉州では役員会で3回も議論してきました。前回世話人会のあとも2回議論してきました。その結果だから無理です」と答えました。永井さんは「どうしても無理なら、兵庫側としては協議して態度を決めていかざるをえない」と言いました。
 次に松原さんが書いてきた文書を読み上げました。「泉州単独主催は歴史に逆行する。撤回せよ。昨年7月関空闘争で混乱を起こした責任は国賀さんにある。国賀ブログで『市民運動主義では勝てない』と言っているが、どういうことか」というような趣旨の発言をしました。
 命令調であったために泉州の3人が怒りました。国賀が「松原さん、何でそんなにえらそうに言うのか。泉州の主体を認めないのか。泉州は兵庫の下か。昨年の集会で来るなり怒鳴りつけてきたのは誰だったのか。これまでもプログラムの変更は私がやってきた。『労働者と共に関空闘争に勝利する』と総会でも決めた。泉州住民の会以外の団体で総会やって方針を議論している団体はありますか?泉州は原則的にしっかりやっている」と答えました。中山さんは「泉州が怒っているのは、あなた達3人が国賀事務局長を怒鳴りつけてきたこと。それを見た役員と住民は怒った。時々来る人達が何をえらそうにするのか、と怒った。今年は泉州が主催でやります」と。小林さんは「松原さん、あなたはいつも上から目線やな。私ら泉州は下か。平等と違うの。国賀を育てたのは泉州住民ですよ。年に1~2回来るだけで運動はできませんよ」と言いました。
 その後、各団体からも意見がでました。主に「湾岸共闘の破壊は関空闘争にとってマイナス」という意見で、打ち合わせしてきたように同じでした。泉州は湾岸共闘を破壊しようとは一度も言っていません。「7月関空集会は泉州が主催します。兵庫側は協賛で参加してください」と言っているのであり、破壊などしていません。どうして同じように「破壊」と言うのか、打ち合わせし、意思統一してきているように感じました。
 最後に永井さんが「泉州の意志が固いようなので、世話人会で了承と言うことではないが、止められないと言う意味で承認する。兵庫側としては対応を協議していく」と泉州主催を認めて締めくくりました。
 ところが関実は、6月5日付けで『声明』を全国に送りました。協賛で集会に参加する方法もあったのに、まったく検討されていません。8日後であり早すぎます。さらに泉州には何も言わずに、泉州住民の会が湾岸共闘を「破壊」「分断」したと決めつけ、関実を離脱したと決めつけました。事実と違う『声明』であり、7・19関空闘争を直前にした闘争妨害です。

14、 2009年7月1日関実代表者会議で国賀を関実事務局次長職から解任したようで、7月29日付で「通知」が届いた。
  関実は6月5日付け『声明』に続いて、7月1日に関実代表者会で「国賀を事務局次長職から解任」したようです。『声明』で「泉州住民の会が離脱した」と決めつけていますが、何が根拠なのか明らかにしていません。泉州は「離脱」とは一言もいっていないし、ましてや「脱退届」は出していません。国賀の「解任」も同じです。通知は3行で理由が何も書かれていません。普通の労働組合や市民団体なら、「脱退届け」を出すか、会費滞納など規約違反で処分するか、規約や規則に則って決定していきます。ところが「泉州住民の会の関実離脱」も「国賀事務局次長職解任」も理由が示されていません。また『声明』で「関実に復帰せよ」と言うのであれば、解任せずにポストを残しておくと思います。矛盾した決定です。
 つまり、関実は組織的な運営をしていないということです。規約がない団体もありますが、「脱退」「解任」という重い決定は、慎重に扱います。他団体の規約を参考にして討議し、決定していくものです。また本人の意見も聞きます。ところが関実はそのようなことは何もしていません。理由も根拠も示せずに重い決定をしたのです。
 関実集会の決定過程、旗開きの単独開催でも同じです。組織的な決定をせずに、企画内容を決め、動労千葉の「協賛」をはずしています。同じ問題が底流にあるのです。

15、 2009年7月19日 関西新空港反対全国集会が大成功
 集会には、地元60人、全体で275人が参加し、大成功しました。泉州住民の会は、単独開催し全体に責任を取って成功させました。集会では、司会、基調報告、カンパアピール、決意表明、閉会あいさつを全部やりきりました。非常に大きな自信になりました。これは、役員14人で毎月定例役員会をやって会を運営し、年1回総会を開いて総括と決算報告し、方針提起と論議をして決定する組織的な運営ができているからです。新しい役員も毎年生まれてきています。
 ところで、兵庫側団体はどうなっているのでしょうか。詳しくは知りませんが、淡路町反対同盟は、集会や会議では永井さん、安藤さん、江戸さん以外は見ません。もう20年くらい同じと思います。安藤さんは4月から東大阪の教会の牧師に赴任しました。
 明石住民の会は、加辺さんが滋賀に移転してからは、日原さんと高木さんしか見ません。時々教会の方を集会で見かけます。もう20年くらいそうです。集会やビラは知りません。
 東灘区住民の会も山本さん、松原さん、白石さん、粟井さんが中心で、会員が何人いるか知りません。最近は、集会はやってないと思います。最近の集会は「神戸空港の中止を求める市民の会」(讃岐田代表)が主催でやっています。
 どの団体も「関空反対」で集会や活動をほとんどやっていないと思います。「われわれも関空反対運動の主体」と言われる根拠がわかりません。
だから関空闘争を泉州住民の会が主催するという提案は、常識的な主張でした。地元で関空反対運動を日常的にやり、組織実体もあるのです。兵庫側が反対する理由は理解できません。
 集会では、恐慌情勢下で関空闘争に勝てる路線を提案しました。道州制粉砕・橋下打倒、労働者と共に住民が闘って関空を粉砕する。危機にのたうつ関空会社が延命できるのは道州制のみです。御手洗経団連会長と橋下知事がわざわざ会談し「公務員をもっと減らせ、浮いた金を民間に回せ」と合意しました。公務員360万人をクビ切り、民間労働者もクビ切り、賃下げで、資本家だけが生き延びられるようにしようという路線です。労働者全体にかけられた攻撃です。橋下の関西州攻撃は中心に関空があって、侵略拠点にする構想です。闘いの主体は、住民と労働者であることは明白です。主体を住民にだけに切り縮めることの方がおかしいのです。つまり、労働者の闘いを位置づけない、信頼しないという路線がわれわれと違うし、恐慌情勢のとらえ方が違うし、橋下と道州制攻撃と闘うという、闘う路線が兵庫側団体と違うのです。

16、 このように、約1年間の経過をみると、関実の変質がよくわかります。
 まず、関実『声明』は事実と違います。4・28と5・28世話人会の議論は7月関空闘争の主催問題で関実や湾岸共闘を離脱するという議論は一切ありませんでした。「泉州主催」を承認したのに、どうして関実は「泉州が離脱した」と決めつけるのでしょうか。つぎに、1月旗開きを「関実単独主催」と関実だけで決めました。反戦共同行動委の入江代表が「話してから」と言っても、それを聞かずに決めました。これは共闘破壊にならないのでしょうか。さらに、3月関実集会では、1月15日の世話人会では「動労千葉協賛」だったのに、いつの間にか「動労千葉協賛」はなくなっています。会議もやらずに、動労千葉の意見も聞かずに、どこかで決めています。まったく考えられないようなやり方です。
 核心問題は、組織的な運営をしていない、ということだと思います。経過をみれば明かですが、関実は永井さん主導から、松原さんの独裁的運営に移ってきています。そこには組織的な運営が非常に希薄になっています。
私は、そうなった根拠は兵庫側団体が大衆的な運動をやっていないからではないかと思います。大衆に責任を持つ組織運営をするのであれば、このような独裁的な運営はできません。
 泉州住民の会は、定例役員会で議論し決定しています。年1回総会をやって議論し、決定しています。今回の7月関空集会主催問題では、役員会で何回も議論し、関実世話人会では2回議論しました。旗開きや関実集会のように、議論を打ち切って強行はしていません。この1年間、泉州住民の会は関実の団結を守るために辛抱しながら、意見を述べてきました。
以上が、この間の経過報告です。

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長いねん。

投稿: な | 2009年8月27日 (木) 20時01分

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